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2009年6月20日 (土)

愛情深い絵本

今月中が締め切りのイラストの仕事が2つあって、それがすごくうまくいったのでうきうきしています。れんちゃんにもすっごく褒められたのできゃっきゃきゃっきゃです。そこへ北浦君のお店のロゴマークの依頼がぴょこっと入りました。アボイドノート、電話が付いたので、カードを作るのだそう。これは1番の急ぎだな、とがんばった甲斐あってすごく喜んでくれました。

私は北浦君のお客さんに描いているのではなく、北浦君に描いているので、店に来るお客さんが喜んでくれることより、北浦君が喜んでくれるのが1番うれしい、というような事をれんちゃんに言ったら、「絵を見る人すべてが変な絵、と言っても、店主が気に入ってくれてたらいいのかい?」と聞かれて気がつきました。私は、自分が描きたいように描く、もしくはたった一人のために描いているのだということ。たくさんの人に気に入られたいとか、多くの人に好かれたいとかいうのが、脳みその端っこにも、ちびっとも無いということなのです。けれども、たまたま私の絵は独創的ではないから、描きたいように描いても、吐き散らかされるようなことはないようです。それはラッキーなことかどうか分かりません。吐き散らかされるほどの絵が描けたらいいな、とも思うからです。けれど、確実にラッキーでないことは、私の絵はまだまだたくさんの人に見てもらっていないことです。もっとがんばるぞ!もっともっと!

絵本とイラストを分けて考えたことはありません。私のイラストは絵本と同じです。そこに描かれた女の子の背景、これまでの設定、このあとどうなるか、などと考えて描いています。1ページの絵本という感じです。

ただ、絵本を描く時や、絵本について考える時には、イラストだけの時とは違って、読み手のことを想像します。絵本を開く、そのちいさい人の目の動き、気持ちの高ぶり、ぷくぷくした手がページを開く速度、心地よい響きを聞く耳、知ってる言葉、知りたくなる言葉、そんなことをふと思い出しながら描いています。ふと。

こうやって絵本というのは、なにかしらんものすごい愛情深く作られてきたのだと、ぺいぺいの私でもそれに気がつきます。そして、愛情深く作られた絵本は愛情深く売られ、愛情深く読まれます。だからかどうか分かりませんが、絵本は、絵本そのものが愛情を持っているように思えて仕方がありません。そうでなければ納得できないことが多すぎると思うのです。

明日はいしいしんじさんのレクチャーを聞きにメリーゴーランドへ行きます。楽しみだな。

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